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2012.01.17

3.11の教訓 ~ レジリアンスの重要性について その1

ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)ニュースレター No.112 (2011年12月号)より
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/031564.html

3月11日の東日本大震災は、多くの教訓を私たちに残しました。私たちは、単に「現状復帰」という意味での復興ではなく、3.11によって明らかになったさまざまな社会や経済の問題に対処し、本当の意味で持続可能な社会を作っていく必要があります。それこそが、被害に遭われた方々への鎮魂になるのだと信じています。

3.11は、数年前から私が「これからますます大事になっていく」と考えていたことの重要性をあぶり出してくれました。それは「レジリアンス(resilience)」という概念です。辞書を引くと「復元力」「弾力性」などと訳されていますが、私は「しなやかな強さ」と訳したりします。「何かあってもまた立ち直れる力」のことです。

風にそよぐ竹を思い浮かべてください。風がきたらしなやかに身を倒し、風が過ぎ去ったら立ち戻ることで、強風がきても竹はポキッと折れてしまいません。この「何かあってもまた立ち直れる力」が「しなやかな強さ」です。

今回の大震災で、よく「東北の人は強い」と言われます。石巻や気仙沼の被災地にお邪魔し、地元の方々とお話ししたりして、「でも、その強さは、ある人一人の強さではなく、この地域には強い風に倒されても、立ち直れる土台があるからこそじゃないかな」と思いました。それは、地域の人々の強いつながりや、地域の暮らしを支えてきた歴史や伝統・文化などです。

一方、今回の大震災は、日本の社会や産業がこのレジリアンスを失っていたことをまざまざと見せつけました。

たとえば、震災後、物流が完全に麻痺しました。大きな震災の後、一時的にいろいろなものが止まるのは仕方がないとしても、今回かなり長期間にわたって物流が麻痺してしまったのです。同じことが「生産」でも起こりました。日本の多くの企業は部品が調達できなくなり、工場の生産をストップしなくてはなりませんでした。日本国内だけではなくて、世界の工場でも同じような状況になりました。

なぜ、そのような状況になってしまったのでしょう? なぜ、「何かあったときに、速やかにしなやかに回復する」物流や生産のシステムではなかったのでしょうか?

物流にしても生産にしても、できるだけ途中で在庫を持たない「ジャスト・イン・タイム」が行き渡っていたことが大きな要因だったと思われます。昔のシステムではあちこちに在庫がありましたが、「それでは効率が悪い」ということで、在庫を持たず、コストが安くてすむ、効率のよい仕組みに変えてきたのです。今回のように部品の供給が止まると、すぐ生産停止に追い込まれる構造になっていたのです。

また、部品も安く仕入れるために、調達先をしぼって1社だけに依存するようになっていました。今回の震災のような「何か」が起こると、すべてがストップしてしまう構造になっていたのです。

ジャスト・イン・タイム方式も、調達先の絞り込みも、何も問題がない「平時」には一番効率の良い方法です。しかし、この構造では、何かあったときにしなやかに回復する力は弱かったことがわかりました。短期的な経済効率を重視するあまり、平時にはその重要性が見えにくい、中長期的なレジリアンスを失っていたのです。

短期的な経済効率やコストだけではなく、何かあったときのレジリアンスも大事なことを知った日本の産業界では3.11後、小売企業が仕分け拠点に在庫を持つようにしたり、トラックに物流を頼っていた企業が鉄道物流も導入したり、製造業でも生産工場を分散化するなどの動きが広がっています。

また、私たち市民の生活も同じくレジリアンスを失っていたかもしれません。大震災で東京も停電しましたが、一人暮らしの人から「自分の暮らしがいかにあやういかに気づき、身震いしました」という話を聞きました。

仕事が忙しくて、会社から夜遅くアパートに帰ってくるだけの毎日で、近所の人と話をしたこともない。だから、自分もまわりの人の顔もわからないし、まわりの人も私の顔や暮らしを知らない。そんな状況で、震災が起こっても、だれも自分のことは気にしないだろうし、安否確認や救助の手なども差し出されないだろう。確かに、仕事の効率だけを考えたら、近所とはつきあう必要はないのだけど、これでよいのだろうか? と考えさせられた、と言うのです。

また、安い深夜電力を使えるなどのアピールに惹かれて家をオール電化にしていたが、今回の停電ですべて止まってしまって往生した、という声もあちこちから聞きました。オール電化の家は、煮炊きも暖房もガスではなく電力を使いますから、電気が止まってしまうと、お湯も沸かせない、暖房もできない、という状況になってしまうのです。

もうひとり、必要があれば近くのコンビニに買いに行くことで、家の中に不必要なものは何一つ置かない、すっきりした「シンプルライフ」を実践していた人も、「3.11後、コンビニやスーパーの棚からモノがすっかり消えてしまったので、大変だった。手元には何も持たないのがよいと思っていたけど、少なくとも1週間分ぐらいの食べ物や生活必需品は買い置きをしておかなくちゃ危ないね」と言っていました。

これらの教訓は大震災だけに通用するものではありません。これからの時代を考えると、世界的には人口やさまざまな圧力、競争が増大し、日本では国内の人口も市場も縮小し、高齢化・過疎化が進む中、温暖化やエネルギーなど、さまざまな問題が悪化していく「先細りの社会」です。このような状況の中で、それでもどうしたらしなやかに強く生きていけるのか、しなやかに強い地域や社会をつくっていけるのかを考える必要があります。

短期的な経済効率だけでなく、短期的にはコストアップや効率ダウンに見えたとしても、中長期的に、何かがあったときにも「それでもしなやかに強く立ち直れる強さ」も重視し、企業経営や社会づくりに組み込んでいかなくてはならない。そうしないと、本当に持続可能な、本当に幸せな社会にはならない。そう思うのです。

レジリアンスに富んだ社会とはどんな社会でしょうか? いくつか挙げた例からも、「多様性」や「冗長性」が鍵の1つであることがわかりますが、何がレジリアンスを創り出すのでしょうか? どのように組織や社会に組み込んでいったらよいのでしょうか?

レジリアンスは、JFSもパートナーとなって活動を展開している「幸せ経済社会研究所」の大きな研究テーマのひとつです。次号では、私が現在大事だと思っていることをいくつか書きたいと思っていますが、ぜひみなさんにも、いろいろな取り組みや事例などを教えていただけたらうれしいです。

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