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クルミドコーヒー店主、株式会社フェスティナレンテ 代表取締役 影山知明 聞き手 枝廣淳子 Interview16

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Cさん:
「スタッフにとって、お店は人生の道すがら」とおっしゃっていましたが、個性的なスタッフが独立したり辞めたりすると、お店の魅力に大きな穴が開くと思います。そこをどのように解決されてきたか、お聞かせください。
影山:
今までも、スタッフが抜けたことによって、それまでやっていたメニューがごっそりできなくなったということが起こりました。本の中で紹介しているのはビーフシチューというメニューの例ですけれども、12月の看板メニューで5~6年やっていたものが、川上さんというスタッフがいなくなったことで作れなくなりまして、いなくなって初めての12月は、前の年と比べて2~3割売上が減りました。経営者的には笑えない状況ではあるんです。
でも、そうやって空白が生まれると、そのクリスマスの時期に、「自分だったらこういうことをやってみたい」という、次の創造性を生み出す余地にもなる面もあります。短期的にはショックですし、経営的にもダメージですけど、それは次の機会でさえあると思って、今のところやっています。
枝廣:
ありがとうございます。少しだけコメントを追加させてください。
不等価ということで、値段設定に対する不等価性の説明をしてくださったんですが、私が今、次の経営のために読んで考えている中でよく出てくるのが、「経済も人間関係も、パスを出すことだ」と言うものです。
パスを出せば出すほど、その人の所にまたボールが回ってくる。なぜならパスを出す人だから。それは仕事もお金も同じだと。それを自分の所でパスをじっと大事に握り締めている人の所には、もうパスは回ってこない。影山さんは「ギブから始まる」とおっしゃっていましたが、パッサーになることだともいえます。
では、「なぜ、自分から先にギブするのよ」という話が、もしかしたら出るかもしれません。それは、「そもそも自分は受け取っているからだ」というのが1つの答えとしてあります。「自分が今ここにこうやっていられるのは、たくさんのいろんな人たちの仕事のおかげであり、いろんな人たちのおかげで自分がいる。だから自分はもう受け取っている立場だから、自分が次に出すのは当然のことだ」という。なるほどと思って読んでいました。
その「不等価性」というのを、もう少し時間軸の長い、経済とかお金のやり取りとか、もしくはクルミドコーヒーと地域とか、もしくは社会とのやりとりで考えたとき、どんなふうに考えられますか?
影山:
おっしゃってくださった通りだと思います。加えて言うと、本編でも触れ切れなかったかもしれないと思うのは、こちらが何かギブしたり、ギフトをしたときに、「返してくれる」という言い方をしましたけれど、受け取った人からしてみたら、それをその次へと「送る」という選択肢もあります。「恩返し」ではなくて「恩送り」と言いますね。「ペイ・フォワード」と言ったりもすると思いますけど、それはいいなと思っています。
お店に来てくれた方がいい気持ちで帰ってくださることで、気が付いたら、道のごみを拾っているということがあるかもしれない。あるいは、その後電車に乗ったときに、おじいさん、おばあさんに席を譲っているということが、いい気分だから自然にできたということがあるかもしれない。それでいいじゃないかと思います。

「ぶんじ」に書かれたメッセージ。
「ぶんじ」が回れば回るほど、街の中の「ありがとう」の軌跡が通貨に刻まれる仕組み。

そのペイ・フォワードしてくれたものが、巡り巡って自分たちに帰ってきているとも思っているので、そういう意味では、パスを出している側でもあり、パスを受けている側でもある。この間の、すべてのパスの経路は見えないことがおもしろいですよね。そこを信じる、信じない、みたいなことで人の選択が分かれることがあるんだなと思います。
ただ、お店をやっていて、そういう意味で恵まれていると思うのは、自分たちが、自分ひとりだけにおいてここにいるわけではないということを、すごくわかりやすく日々の営業で痛感するわけです。
前職の時とかパソコン仕事の場合は、自分が世界を牛耳っているとか、パソコンさえにらんでいたら動かせる感じさえあったりするんですけれど、お店をやろうと思った時に、さっきのトマトを作ってくれる人がいなければ成り立たない、店頭に立ってくれるスタッフがいなければ成り立たない、カフェでシチューを売ってくれる人がいなければ成り立たないということを、身体的に痛感するので、そこからいただいたものを、僕がきちんと送れるかという感覚で、僕自身、日々の営業をやっている感覚があります。
枝廣:
Cさんのご質問に関するお答えを聞いていて、今度は森林のようなお店なんだなと思って聞いていました。
このあいだ、山を訪ねる機会があって見ていたんですが、時々、大きな中心になっている木が倒れたりしますよね。それは、森にとっては、瞬間的には損失かもしれないけど、その木がなくなったことで別の木に光が当たるとか、別の木がその空間を、今度は自分がそこで伸びていこうとします。生態系ってそういうもものですね。
なので、瞬間的にはきっと、そのスタッフがいなくてすごく大変だと思うけど、それがないんだったら、「自分は今度これをやるよ」とか、そういう生態系のような、森のような形で、何かあったときに次の力がどんどん回ってくるというのは、すごく強い形なんだろうなと思って聞いていました。
Dさん:
おいしいものを提供したい、ギブしたいという気持ちのお話がありましたが、お客様を喜ばせるためという、お客様にギブをし続けるための選択は、テイクの気持ちに近い部分があるような矛盾を感じてしまいましたが、どのように考えたらいいでしょうか。
影山:
僕らがおいしいブロッコリーを使ったメニューでお客さんを喜ばせたい気持ちで考えているという、さっきの例ですね。
そういうことで言うと、「関心の輪」と「影響の輪」という考え方をするといいと思います。僕らが、お店を訪ねるくださるお客さんを喜ばせようと思うってどう振る舞うかというのは、影響の輪の中に入っています。僕らが何をするか、選択する権利を持っているわけです。
それを提供した結果、そのお客さんが喜んでくれるかどうか、また来てくれるかどうかについては、僕らにとって関心はあること。それがあることでお店が成り立っていくということはあって、関心があることではあるけれど、影響の輪の中ではないと思っています。それはお客さんが決めることであって、ぼくらにコントロールできることではない。
だから、僕らにできることは、来てくださった方にいい時間を過ごしてもらえるようにベストを尽くすことだけ。ただ、それをちゃんとやっていけば返ってくるということを、8年間の中で経験的に学んだと思っています。
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